我が国の、医療分野におけるイノベーションの目的は、急激に進行しつつある「少子高齢化」と、やがて訪れる「人口減少」という未知の社会状況の中にあっても、医療システムの維持・向上と経済成長により、幸福な社会を実現する事にある。
日本は国民皆保険制度であり、世界最高の平均寿命を実現し、世界的に見ても低額な医療費で、非常に高い医療水準を達成してきたが、少子高齢化・人口減少社会において、さらに先進的な医療を取り入れつつ、これを実現するのは財源や担い手の問題もあり、大きな課題となっている。

しかし逆に、いわゆる「課題先進国」である日本が、こうした医療システムを世界に先駆けて実現できれば、それを国外に展開することも容易になる為、世界の人々の健康的な生活に貢献できるチャンスとも言えるだろう。

ここでは、我が国のライフサイエンス研究を通じた医療分野でのイノベーションについて、推進すべき領域の状況と課題を整理し、続いて今後必要とされる基盤としての「ベンチャー・エコシステム」について産学官がどの様な役割を担うべきか、連携方法について提案したい。

 

【新薬開発】

新薬開発における基礎研究から上市に至るまでのインフラが整っている国は、世界中でほぼ欧米と日本に限定されている。各国とも製薬産業を重点領域と位置付けて創薬力強化に向けた取り組みを進めているだけでなく、新興国においても、国策として創薬環境を整備する動きが活発化しており、国際競争は加熱する一方だが、主に以下のような点で日本の製薬会社には逆風が吹いている。

・歳出抑制策による打撃
少子高齢化の進行による社会保障費の急増に対応した医薬領域の歳出抑制策として、後発医薬品(ジェネリック医薬品)のシェアを現在の55%から80%以上に引き上げる目標が掲げられており、新薬創出を睨む製薬企業にとって、R&D投資の回収がより困難な状況になってきている。

・創薬手法の変遷
新薬開発の難易度は年々高まっており、一剤あたりのR&D費用も増加の一途を辿っている。この要因としては、国際競争の激化のみならず、比較的安価な低分子医薬品に「やり尽くした」感があり、より費用のかかるバイオ医薬品へと創薬手法が広がった中で、新たな基盤整備や人材の育成・確保等が求められている事にある。この状況は、創薬シーズの発見から臨床開発に至るまで全てを自前で行う自己完結型の創薬手法の限界を意味している。

・ガバナンスの強化
 コーポレートガバナンスに求められる水準やその質は年々高まりをみせており、コンプライアンスだけでなく、企業行動憲章や医療用医薬品プロモーションにおける各種ガイドラインの策定や、情報公開を強いられている。また、臨床研究のデータの信頼性向上等に向けて、生物統計家の育成なども課題になっている。

以上のみならず、以前より日本の「創薬力」については、基礎研究のレベルや、R&D投資額と比して、最終製品の導出率や売上に結びつく割合が諸外国よりも劣っているだけでなく、大学やベンチャー発の新薬が非常に少ないことが特徴とも指摘されており、大学等のアカデミアやベンチャー企業から創薬シーズを導入する等のオープンイノベーション型創薬への移行が期待されている。

 

【医療機器開発】

医療機器産業の市場規模は拡大傾向に有り、米国42%、欧州34%、日本10%程度のシェアとなっているが、その中で我が国のシェアは減少傾向にあるとされおり、国内市場では輸入超過の状況が続いている。
わが国のものづくり企業は医療機器に活かすことができる高い技術を有しているものの、以下の様な要因から大きく遅れをとっている。

・企業規模
 我が国の医療機器製造・製造販売業は、欧米よりもかなり小規模な企業か大半を占めており、多額の研究開発投資を継続して行うために必要な企業体力を持つに至っていない。

・ものづくり信仰の弊害
 医療機器は現場ニーズを十二分に汲み取ることが要求されるにも関わらず、「機能・スペックが優れたものを作りさえすれば良い」という提供者目線でコンセプトが設計されてしまいがちで、機能的には優れていても使いづらいものになってしまっている。一方、欧米主要メーカーは医療機器と医療サービスとがパッケージになっており、ソフト面が優れていて使いやすいが故に、ここに人気が集中してしまっている。

・承認の複雑さ
 日本は承認プロセスが欧米に比べて長いとされており、加えて大学の公的機関や大学の研究が基礎研究重視の姿勢のため産学連携を進めようにも商品化が難しく、総じて製品化に時間がかかることが問題になっている。

以上の様な点に加え、医療領域と工学領域にまたがる知見や法令対応が必要となる医療機器の特殊性を考慮すると、単一の従来企業による大型医療機器の開発は難しく、医工連携、産学連携等の推進やベンチャーの創出が、当分野におけるイノベーションの期待に応える形と目されている。

【再生医療/個別化医療等の先進医療

いずれも、産業化に向けたインフラ・法整備などが進んでおらず、明確なビジネスモデルも存在していない黎明期に有り、大学や研究機関における更なる研究の充実と、それを産業に結びつけるための産学連携やベンチャー創出が期待されている。

・再生医療
 従来治療が困難だった領域や、人の生活レベルの向上にも貢献すると期待されている。

・個別化医療
 個人のゲノム情報や腸内菌叢の状態や各種データに基づき、副作用が少なく効率の良い医療サービスか世界的に普及すると見込まれている。

【基礎研究・知財戦略】

 

これまでみてきた通り、企業は研究開発コストの増加と課題の高度化等に対応すべく、大学の力を借りざるを得ない状況が出てきている。
一方、大学の側もこれから示すような背景の中で、産業界から研究開発資金を導入することが必要になってきており、知財本部の設立や、大学と産業界の仲介役となるTLO(技術移転機関)の活躍も期待されている。

日本はアカデミアの基礎研究のレベルが非常に高いことで知られているが、一方それが産業に結びついていないという課題が各種データの裏付けを持って指摘されている。例えば、日米で比べてみると、特許の出願合計件数こそ日本の大学は米国に近づいてきているが、実用化が成功したかどうかを図る目安となる「大学が企業から受け取るライセンス収入」をみると、2007年で米国の大学は2407億円を受け取っているのに対して、日本の大学はわずか10億円にとどまっている。

この要因としては、欧米と比較して日本の研究者はビジネスや産業応用への興味関心が著しく低いとされているマインドの点に加えて、教育や研究資金の不足も挙げられるだろう。GDP対比の教育予算が先進国中でも非常に低い水準となっているだけでなく、高学歴プア等の問題もあるように、継続的な研究活動に支障が出てしまっている側面もある。

これらの課題の解決には、日本は企業と大学の連携の緊密度を上げ、大学側がより出口を見据えた研究にも取組みつつ、産学連携やベンチャーの創出による資金の確保や、知財戦略の強化により、産業化以降も特許の譲渡やロイヤリティにより、教育投資の不足を補えるような好循環が期待されている。

 

【今後必要とされる基盤】

 

医療分野でのイノベーションを考える場合に、あらゆる面で「産学連携・ベンチャー創出」がキーになることは、ここまでで述べたように疑いようがない状況にあり、これを継続的かつ効率的に行うための産学連携をきっかけの一つとした「ベンチャー・エコシステムの構築」が急務であると考えている。

・人材育成
 まずは起業家の育成が重要となるが、産学両面にて、志を持って旗を掲げることができる人材の育成は、それが歓迎される風土づくりと同時並行で行わなければならない。また、産学連携や大学発ベンチャーを支える人材として、お互いのカルチャーの違いを理解できる窓口人材の育成も必要となるだろう。

・プレーヤーの集積
 この中で、ベンチャーの聖地であるシリコンバレーや、近年急速に注目が集まっているイスラエル等の特徴として、大学と企業が同一地域内に集積しており、ヒト・モノ・カネが高度に連携可能な「場」が形成されている事が挙げられ、これにならった「場作り」が重要になるだろう。
これによって、起業家候補が先輩起業家に出会い、触発される人材育成の効果も見込まれる。その為には、物理的な場所提供するだけでなく、先の人材に加え、TLOの様な「橋渡し役」や、知財に明るい専門家、そして投資家が「チーム」を形成する為に、お互いに気軽に紹介をし合えるようなカジュアルな出会いの場が必要となり、その「場」の提供を、政府を含めた各プレーヤーがそれぞれに、もしくは連携して提供していくべきだろう。またこれが、起業家が歓迎される「風土」の醸成にも繋がるはずだ。

・資金、人材の循環
加えて必要なのが、当然、資金の注入だ。まずは、エンジェル投資家やベンチャーキャピタル、そして大企業も、積極的に投資を行い、例えば、その大企業が成果物をファーストユーザーとして採用することで、協業実績が容易に創れる様になる。
この実績によりベンチャーの急成長が可能となり、企業価値の向上から効率の良い導出を実現し、成功した起業家がシリアルアントレプレナーとして再び起業したり、エンジェル投資家になって次世代の育成支援に貢献したりすることに繋がる。

更に、このような「場」に惹きつけられて更に優秀な起業家・ベンチャー企業が集まり、イノベーションの創出率が飛躍的に向上する事で「ベンチャー・エコシステム」が形成されるだろう。

この中で、政府はこれらの各種バックアップ支援のみならず、イスラエルの様に積極的かつ直接的に、起業家が利用しやすい形でシード資金を提供していく事が望まれる筈だ。

 

☆行動のヒント
・医療問題は「誰もがいずれ」直面せざるを得ない
・少子高齢化と人口減少があらゆる産業に危機とチャンスを提供している
・あらゆる産業にイノベーションが期待されている

最後までお読み頂きありがとうございました。

宮木俊明

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