学生の頃の「勉強」では、
いかに早く、正確に「正解」に辿り着くかが問われたが、
実社会、ビジネスの現場や人間関係の中では
正解は一つではないし、そもそも何が正解かなんて誰にも解らない事ばかりだ。
この様な物言いは様々なと所で目や耳にするが、
そうだとすると、何を指針にどの様に生きるべきなのだろうか。
ひとつ一つの決断、判断を自分で考え、
試行錯誤することは面白い所でもあり、
その中で個性が磨かれても行くと思う一方
望んだ結果が得られなきことが続くと苦しい。
そして、その苦しみの原因の一つに、
意識的にも無意識的にも、
ついつい「正解」を望んでしまう事が有るような気がしている。
鎌田實(著) ポプラ新書
『◯に近い△を生きる−「正論」や「正解」にだまされるな』
は、唯一無二の正解を追い求める人生ではなく、
自由な考え方で生きようと誘う。
「☓でも◯でもない無数の新しい△を信じて生きてみよう」
不自由で堅苦しい二元論ではなく、
無数に存在する正解でも不正解でもない「別解」を求める所に、
無限の可能性と自由があるという。
本書の中には片腕のピアニスト、舘野泉さんの例が紹介されている。
「脳卒中で右腕が動かなくなったピアニスト」という絶望的な状況の中で、
◯か☓かではなく、新しい△として「片腕のピアニスト」という別解を選んだことで、
日本のどの大ホールでもチケットが売り切れる人気アーティストになったという。
また、割り切れない現実の中で、常に「別解」を探す生き方、
これは、極端に走らないという意味もあって、
例えば本書では「だらしないベジタリアン」というスタンスも推奨している。
これは、普段はベジタリアンだけど、
人にススメられたり、何か特別な時は肉も食べてしまう、
そんな別解を認める事で実は「調度良い」バランスが保てるという。
この様な考え方は、仏教における中道や、
儒教における中庸にも、通じる部分が有る気がしていて、
本来、我々日本人が得意としてきた所なのかも知れない。
この辺りの考え方に触れ、
本書とは離れるが、自動車メーカーのHONDA創設者の
本田宗一郎氏が幼いころに学んだと言われている逸話を思い出した。
「30㎝の定規を二人の人が掴んでいる時、真ん中はどこか?」
当然15㎝の所かと思われるのだが、
宗一郎氏の父親の答えは、
「14㎝から16㎝の間」
であったという。
正に杓子定規に割り切るのではなく、
お互いに譲り合うような気持ち、
◯ではなく△を目指す様な余裕が無いと、
現実は上手くいかない事も多いという教えなのだと思っている。
著者は長年、医師・病院長として、
地域医療や国際協力にも貢献してきているが、
医療という、人の生き死に、
命のやりとりの現場から得てきたこの様な知見は、
強い説得力を持って、多くの人の心に響くのではないかと思う。
★行動のヒント
・「△で良いんだ」と思って行動へのハードルを下げる
・正解を求めすぎず、正論を振りかざさない様に気をつける
・できるだけみんなが幸せになるような別解、第三案を求める
最後までお読みい頂きありがとうございました。
宮木俊明